令和6年6月28日(金曜日)に別府警察署、別府市役所・29日(土曜日)別府駅東口にて街頭活動を行いました。
私の思いはこの事件の事を多くの人に知ってほしい。
そして何より事件の早期解決を願っています。
事件から2年
事件概要
事件は令和4年6月29日の午後7時45分頃発生しました。
別府市中心部の交差点で八田與一(当時25歳)が運転する軽乗用車が猛スピードで、バイクで信号待ちをしていた2人の大学生を跳ねました。
1人が死亡、1人が怪我をしました。
しかし八田與一は救護をする事なく現場から逃走したのです。
そして、令和6年6月29日で事件発生から2年が経ちます。
未だに彼は逃亡を続けています。
そして現在では警視庁指定の重要指名手配犯となっています。
私の1年
事件当時、私は印刷会社で働いていました。
仕事の関係で別府警察署の印刷物等も作っていたため八田與一のポスターをよく見かけていましたし、事件のチラシの制作に関わった事もあります。
その年度の春に私は難病が悪化した為、会社を余儀なく退職しました。
そした自分のペースで働く為に作り手であるデザイン事務所を立ち上げる事になります。
私は営業や企業様との繋がり、自己発信の場を作るためにX(旧Twitter)を開設し運用を開始しました。
そしてある時、別府市大学生死亡ひき逃げ事件の早期解決を願う会のアカウントの見つけ事件解決のために切磋琢磨されている事を目の当たりにしました。
https://twitter.com/beppunegaukai
そして、私の方から連絡をとり協力したい旨を伝えました。
それが約一年前のことになります。
当時、私が作成したのがカード型のチラシでした。
今でも別府警察に願う会さんと共にお渡ししたのを鮮明に覚えています。
本音を言うと事件は解決に向かい、犯人逮捕は時間の問題と思っていました。
そう考えた人も少なくないと思います。
しかし、考えとは裏腹にカードを作成してから1年が経ってしましました。
そして、1年後の令和6年6月28日に同じ場所(別府警察署)に願う会さんと共に足を運ぶことになってしまいました。
ですが1年経とうと私の思いとやる事は変わりません。
常に私のできる最善を尽くすつもりです。
罪名変更に向けて
罪名変更に向けてと見出しを打ちましたが、私はそもそもこの事件が道路交通法と考えていません。
それは事件を知った時から救護義務違反での指名手配に違和感を覚えていました。
「時速100キロ近くで車を走らせ、ブレーキをかけずに追突」その場から逃走。
刃物や拳銃で相手が死亡したらどうでしょう?何故凶器が車というだけで殺人にならないという事になるのでしょうか…本当に理解に苦しみます。
被害関係者は私以上に納得がいかない事でしょう。
令和5年9月21日、5万人以上の署名を持参、別府警察署と県警本部を訪れ八田容疑者を殺人と殺人未遂の容疑で刑事告訴しました
そして罪名は変わらないまま令和6年6月28日に改めて約8万人の署名を持参し罪名変更を求め別府警察署に足を運んだのです。
本人の証言がないから?道路で起こった事だから?
もしもこの事件の罪名が救護義務違反というのであれば、子ども達に伝えなければならない「正義」という物が根本から覆るような気がしてなりません。
別府市民として
別府警察訪問後に別府の長野 恭紘(ながの やすひろ)市長と面会する為に市役所に願う会さんと向かいました。
私の目的は作成したカードお渡しする事、別府市民として市長に思いを伝えることです。
市長は親身になって相談に乗ってくれました。
私は最後に市長にインフラ関係と連携のお願い、配送業者・携帯電話会社になんとか協力を仰げないかと懇願しました。
勿論、簡単に出来る事ではないのは重々承知した上です。
しかし、思いついた事は口に出して伝える事が前進する足掛かりに必ずなってくれます。
小さい目標から大きくするのは難しいですが大きい目標からその中でできる事を探すというのが最終的に小さい事を大きくすると思っていたからです。
最後に市長は私に「思いは一緒ですからと」と言って下さいました。
別府市民として伝える事は出来たかなと思いました。
別府駅東口にて
事件から2年の同6月29日に別府駅東口にて大分県警の方達と街頭に立ちチラシ配りをしてきました。
沢山の人に事件の事を知ってもらいたいとの思いで配っていると「まだ捕まらないの辛いね」や「ニュースを見て私も署名したかった。」と声をかけてくれる方が多くいました。
少しでも事件を知ってもらう事、そして現在を知ってもらう事が今の私にできる事というのをあらためて実感する事となりました。
最後に
私の思いは勿論「八田與一の逮捕」による事件の真実の解明です。
八田が逮捕されようが亡くなった命が戻ってくるわけではありません。
しかし現在はどうでしょう。
命は戻らな…
犯人も捕まらない…
事件の真相もわからない…
こんな悲惨な現実といつまで向き合えと言うのでしょうか。
私は一緒に行動、活動する事で少しでも心が救われるのであればと考えています。
私自身、支えられる事により安心につながると言うのはわかっているからこそ放っておけないのだと思います。
私にできる事はまだあります。
それをこれからも行動で示していくつもりです。